オハイオ州の片田舎に暮らす私ですが、どうやってここに辿り着いたのか?今日はこれまでの私の経歴について簡単にお話できたらと思います。
生まれは滋賀県。子供時代の大半を奈良で過ごしました。かけっこが大得意、鉄棒や縄跳びも大好きな活発な子供でした。サラリーマンの父、パート勤めの母、3つ上の姉に囲まれ、ごく一般的な幸せな家庭に育ちました。
教育熱心な母の教えで幼少期から公文や英会話の習い事を始め、英語に触れる機会が多い環境で育ちます。小学校3年生からは塾にも通い始めます。習い事で忙しい中でも、小学校時代は毎日放課後に友達と駆けまわり、伸び伸びと元気に過ごしました。そして中学受験を経て、自転車で30分ほど離れた中高一貫校に通い始めます。この学校は英語教育に熱心なこじんまりとした女子高で、英語のスピーチコンテストがあったり、当時最先端のオーディオシステムを導入した英語教育を行っていたりと、ますます英語との関わりが増していきます。
そんな中で私が熱中したのがハリウッドムービー。現在は廃版となってしまいましたが、月刊RoadShowという雑誌を毎月お小遣いから購入しては、最新映画情報のチェックや、おすすめ映画のチェックを欠かさない、少し変わった(?)子供でした。Tom CruiseやBradd Pittといったハリウッドスターにはまり、姉と一緒にキャーキャー騒いでいました。(笑)
大好きなハリウッドムービーのおかげもあり、英語や欧米文化への関心を益々深めていく私。英語が得意だったこともあり、大学は大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)へ進学。英語科にてさらに英語や文化について学びます。大学時代には大学協定校への留学にも挑戦。しかしながらTOEFLの規定スコアが取れず、また私費留学する余裕はなく断念。そのまま就職を決めます。
新卒で入社した会社は菓子会社でした。グローバル経営を掲げ、世界進出を拡大していた頃で、是非英語力を活かして国際部門で活躍できたらいいなと夢見て社会人生活をスタートします。しかし半年ほどの研修期間を経て配属された先は国内営業。毎日車を運転して、小売店や卸店との交渉を進める国内営業のど真ん中。途中、どうしても当初の目標や夢である国際部門の転属を諦められず、社内公募に挑戦もしましたが、結局その後9年間、大阪や東京などで国内営業として奮闘する毎日でした。
全く英語を使わない日々に危機感を抱いた私は、趣味程度に英会話に通うことにします。週1回の30分ほどの外国人講師との英会話でしたが、久しぶりに使う英語は新鮮で楽しく通っていました。ある時この英会話学校主催のハロウィンパーティーが開かれ、私も友達と参加することにします。そこで運命の出会いを果たすことになります…
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